アナーキスト人類学のための断章 デヴィッド グレーバー
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2022/02/17 (以文社)
マルクス主義は革命戦略のための理論的/分析的言説を目指す傾向があるが、アナーキズムは革命実践のための倫理的言説を目指す傾向がある。両者に相補的な関係がある アナーキスト的組織形態は、国民国家を組織しない
西欧とそれ以外の社会の「壁」を壊そうぜ。連続していて、特別で在り得ない
壁があるから、外部社会には「人類学」のアプローチで、近代社会には「社会学」「経済学」のアプローチで、となってるんじゃない? われわれはこれにうんざりしているが、資本主義というものを「商品流通」の問題に還元することで本質化し、挙げ句にそれをシュメール文明と同じくらい古いとみなしてしまう傾向が喧しい。(p128) デンマークのスクワッター共同体「クリスティーナ」では、クリスマス季に定例の儀礼行動がある。彼/彼女らはサンタクロースの装束で現れ、デパートから玩具を盗って路上の子供たちに分配するのである。警官がサンタの小父さんを棍棒で打ち、泣き叫ぶ子供たちから玩具をひったくる情景を万人に味わってもらうためである。(p130) 理論的にこれ(追記:われわれの世界には棍棒を持った男たちが遍在していること)を強調すること、それは権力関係論を「知」との関係においてではなく、「無知と馬鹿さ」との関係において思考することである。なぜなら、暴力、それもことに力が片方にしか存在しない構造的暴力は「無知」を生産するからである。もしわれわれが、したい時にいつでも人びとの頭を殴る権力を持つなら、われわれはもはや、彼らがそこで起こることをどう考えるか、知ろうとする必要はないし、またそうしなくなるだろう。だから社会を単純化する方法は、人間生活が実際に孕んでいる視点、情熱、洞察力、欲望、相互理解などの間のとてつもなく複雑な駆け引きを無視し、ある規則を制定しそれを破る誰をも攻撃すると脅すことである。だから常に暴力こそが、馬鹿者たちの頼みの綱だったのである。それこそ知的反応が不可欠な「馬鹿の形式」なのである。そして国家の基礎とはまさにそれである。 大衆的に信じられているように、官僚機構が馬鹿を創造するのではない。官僚機構とはむしろ(力の両義性に対応しえないことからくる)すでに本性的に馬鹿な状況を管理する方法なのである。(p130-131)